猫を讃えよ :週刊少年サンデー 2021/21号2021/04/08



このブログはあまり更新してなかったため、少しさかのぼると2匹目の猫をもらったときの記事がありますね。このとき引き取った猫の「ノイ」、いまはもう5歳です。たいへん愛されキャラで、フィナ様以外の家族全員に溺愛されてます。フィナ様は「テリトリーを共有している仲間」としては受け入れてくれてるんですが、空気を読まずにパーソナルエリアにぐいぐい入ってきて遊んでほしがる弟にしょっちゅうキレてます。ノイが寝ている時には甘え方が激しくなるので、彼女にとっては家にいる猫は自分だけなのがよかった・・・というのが本音かもしれません。ノイの方はいくら塩対応されてもお姉ちゃんが大好きで、まったく懲りずにちょっかい出しまくってますけど。一般的にオスの方が感情表現がストレートで、特に去勢済みだと子猫の気質が消えず、たいへん遊び好きの甘えん坊になる傾向があるそうです。

最近、私の中では彼らが猫であるという認識があやしくなってきてます。「ニャーワーン」って呼ぶ声がもうはっきり「父ちゃーん!」って聞こえるし。「ニャッニャッ」は「おいでおいで!」だし。見た目は猫以外の何者でもないのに、なんだか脳がバグってそう見えなくなってきたというか、人間の幼児のようにしか思えない。寝顔なんかは特にヤバいです。

猫はたしかにサイズ的には人間の赤ん坊によく似てます。寝息とか後頭部の触り心地とか抱いた重さもよく似てます。脳のしくみに違いがあるので限界はあるものの、ざっと3~4歳児くらいの知能はあるようです。よく「ペットは家族も同然」「子供のように可愛がっている」とか言いますけど、いや何言ってんの? 同然とかじゃなくてフツーに家族だし。子供だし。


でもよく考えたら猫と人間って6500万年くらい前に分岐してるまったく別の生き物なんですよ。猫への愛情って、種族保存とかとはいっさい関係なく、単に愛おしいのですよ。9000年ほど前に人間の生活に入り込んできて、最初はネズミ捕まえる益獣だったかもですけど、たぶんかなり早い時期から役に立つかどうかとかあんまり関係なくみんな飼ってますよね。んで1000年ほど前に日本に輸入され、21世紀初頭の我が家には二匹の猫様がいらっしゃるという・・・なんだこの「君と出会えた奇跡」的なアレは。

あと15年ほどすれば、どんなに運が良くても二匹とも見送ることになると思います。何不自由のない一生を過ごさせ、最期を看取ってやるのが私の使命です。飼った直後からその日を想像するだけで泣けますけど、いまはちょっともうどうしよう耐えられる気がしねえ。ペットロスとかそういう次元の話なのかそれは。いやそれ以外のなんだと言われるとまったくそのままなんですが。「虹の橋のたもとで大好きな人間が来るのを待っている」とか「毛皮を着替えて別の姿でまた会いに来る」とかいう話は、こうやって紹介するだけで涙ぼろぼろ出ますね。猫はさっきからめちゃめちゃ元気に「さっさとこっちに来てかまえ」つってますけど。

たぶんウチの二匹は前世でなんか良い行いをして、そのご褒美に飼い猫として愛されて気楽に過ごす権利を得たのだと思います。私も次の人生はそれになりたい・・・あ、でもそうすると猫様のお世話ができないな。生まれ変わってももう一度フィナ様とノイのお世話をしてやりたいと思う今日この頃です。

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