特にアナログにこだわりはないのですが :週刊少年サンデー2021/24号2021/04/23





『美神』の後半あたりから少しずつデジタル作業を導入して今に至りますけど、ペン入れはいまだにアナログです。紙に描いた原稿をスキャンして、最後の仕上げにデジタル処理を加えて、データ入稿するという形。老眼対策としてもデジタルはかなり便利なので、液タブでのペン入れに移行できればそれにこしたことはないんですが、いまのところどうにも納得のいく線が描けない。だもんでまだしばらくはペンと紙のお世話になりそうです。

手描きの原稿が手元に残るのはアナログならではで、仕上げ前の「ほぼ仕上がった状態の生原稿」は、原画展や読者プレゼントなんかに使えて重宝です。直に作業した実感のある他人の生原稿って、見てて楽しいですよね。私が初めて見た生原稿はあだち充先生の『タッチ』だったと記憶してて、あまりの美しさに「え、これ、人間が手で描いたの!?」ってびっくりしました。私の画面はあんなに美麗ではないものの、でもまあふだん本で読んでいる画面のオリジナルが目の前にあるっていう楽しさは味わっていただけるんじゃないでしょうか。

とはいえここ数年で私の作業もデジタルへの依存が高まってて、最近の生原稿は空白が多くなってきました。この葵なんかはこのあと背景と超能力の発動を演出する放電なんかを加えて、最後に擬音とフキダシを合成した状態が完成です。最近のCGを多用する映画のメイキングみたいなもんですね。背景全部ブルーバックで、俳優は合成用の全身タイツ着てたりするやつ。いろいろと応用がきいてこの方が楽なのでこうなったんですけど、生原稿としてはちょっと物足りなくもあります。


さて、いよいよ絶チルも大詰めになってきました。残り何話やるのかはまだ伏せておきますけど、単行本にまとめる都合なんかを考えるとだいたいはわかりますね(笑)。作品の主題についてはあらかた片付いたので、あとは具体的にどういう絵とシーンで締めるか、ページ数ちゃんと収まるのか・・・という段階です。

 こんだけ長くつきあってきた世界とキャラクターたちを、来年はもう描いてないというのは信じがたいことです。『GS美神』のときは私もまだ若くて、「連載が終わってもキャラとのつきあいは続くし、また描く機会はあるから」って思ってて、新しい仕事に挑戦するワクワクも強かった。その後「終わった作品のキャラを本格的に描く機会ってそうそうない」「描いても往年のファンに『絵が変わった』『ギャグのキレが違う』と言われる」「新連載はコケることもある」ということを学びました(笑)。いや『ジパング』は別にコケてませんからね? コケたのは『カナタ』ですよ? その『カナタ』だって、あれのおかげで絶チルでは渾身の全力が出せたと思ってるんで、だからまあ次の作品もなんとか・・・いや、まだその心配は早いですね。いまはとにかくチルドレンに最後の愛情を注ぎます。

猫を讃えよ :週刊少年サンデー 2021/21号2021/04/08



このブログはあまり更新してなかったため、少しさかのぼると2匹目の猫をもらったときの記事がありますね。このとき引き取った猫の「ノイ」、いまはもう5歳です。たいへん愛されキャラで、フィナ様以外の家族全員に溺愛されてます。フィナ様は「テリトリーを共有している仲間」としては受け入れてくれてるんですが、空気を読まずにパーソナルエリアにぐいぐい入ってきて遊んでほしがる弟にしょっちゅうキレてます。ノイが寝ている時には甘え方が激しくなるので、彼女にとっては家にいる猫は自分だけなのがよかった・・・というのが本音かもしれません。ノイの方はいくら塩対応されてもお姉ちゃんが大好きで、まったく懲りずにちょっかい出しまくってますけど。一般的にオスの方が感情表現がストレートで、特に去勢済みだと子猫の気質が消えず、たいへん遊び好きの甘えん坊になる傾向があるそうです。

最近、私の中では彼らが猫であるという認識があやしくなってきてます。「ニャーワーン」って呼ぶ声がもうはっきり「父ちゃーん!」って聞こえるし。「ニャッニャッ」は「おいでおいで!」だし。見た目は猫以外の何者でもないのに、なんだか脳がバグってそう見えなくなってきたというか、人間の幼児のようにしか思えない。寝顔なんかは特にヤバいです。

猫はたしかにサイズ的には人間の赤ん坊によく似てます。寝息とか後頭部の触り心地とか抱いた重さもよく似てます。脳のしくみに違いがあるので限界はあるものの、ざっと3~4歳児くらいの知能はあるようです。よく「ペットは家族も同然」「子供のように可愛がっている」とか言いますけど、いや何言ってんの? 同然とかじゃなくてフツーに家族だし。子供だし。


でもよく考えたら猫と人間って6500万年くらい前に分岐してるまったく別の生き物なんですよ。猫への愛情って、種族保存とかとはいっさい関係なく、単に愛おしいのですよ。9000年ほど前に人間の生活に入り込んできて、最初はネズミ捕まえる益獣だったかもですけど、たぶんかなり早い時期から役に立つかどうかとかあんまり関係なくみんな飼ってますよね。んで1000年ほど前に日本に輸入され、21世紀初頭の我が家には二匹の猫様がいらっしゃるという・・・なんだこの「君と出会えた奇跡」的なアレは。

あと15年ほどすれば、どんなに運が良くても二匹とも見送ることになると思います。何不自由のない一生を過ごさせ、最期を看取ってやるのが私の使命です。飼った直後からその日を想像するだけで泣けますけど、いまはちょっともうどうしよう耐えられる気がしねえ。ペットロスとかそういう次元の話なのかそれは。いやそれ以外のなんだと言われるとまったくそのままなんですが。「虹の橋のたもとで大好きな人間が来るのを待っている」とか「毛皮を着替えて別の姿でまた会いに来る」とかいう話は、こうやって紹介するだけで涙ぼろぼろ出ますね。猫はさっきからめちゃめちゃ元気に「さっさとこっちに来てかまえ」つってますけど。

たぶんウチの二匹は前世でなんか良い行いをして、そのご褒美に飼い猫として愛されて気楽に過ごす権利を得たのだと思います。私も次の人生はそれになりたい・・・あ、でもそうすると猫様のお世話ができないな。生まれ変わってももう一度フィナ様とノイのお世話をしてやりたいと思う今日この頃です。

暖かくなってきたのでどっか行きたい :週刊少年サンデー 2021/20号2021/04/01





運動不足解消と気分転換のため、ブログ休んでた間にはちょくちょくハイキングしてました。子供の頃は「何が面白いんだろう」と思っていたのですが、大人になってからやると、これがけっこうゲーム性が高いというか。

  山というのはダンジョンです。潜って、探索して、無事に戻らなければなりません。「小学校の遠足で行くような低山などダンジョンとはほど遠い」と思うでしょうが、低山でもそこは山道です。もし捻挫や骨折をした場合、携帯で呼んだとしても救急車は来られません。舗装されていない不整地ですので転倒の危険はそれなりにあります。万一のときは自力で救急車の到着できる場所までは行く必要があり、それができないときはいきなり救助要請案件です。

 行動は日の出から夕方までが鉄則。低山でも日没後の山の中は真の闇になり、野生動物も活動を始めます。万一に備えて非常用のライトは必須ですが、それがあっても行動は大きく制限されます。暗くて足下が見えにくいわけですから、怪我のリスクは高まります。ヤバいです。

  そして当然ですが山の中では売店などほとんどありませんし、あっても平日は休業してます。食料や水など、装備は一式自分で担がなければなりません。山は本来、我々の生活圏ではないのです。

   オッサンになると体力が低下してますので、斜面の不整地を上り下りするのはかなりいい運動になります。限られた体力で時間通りに予定のコースをたどって無事に下山するというのは、それが近所の低山であっても、一歩間違うと最悪死ぬかもしれない状況を装備と知識と体力でコントロールする、スリリングなゲームなのです。

 「スズメバチに執拗に職務質問され、刺激しないよう必死で耐えた」「下山の途中で日が暮れてきて、焦っていると麓の街から『熊が目撃されましたので注意してください』という放送が聞こえてきた」「分岐を間違えて山奥に続く縦走路へ向かって20分ほど歩いていた。ルート復帰するために30分ほどかけて登り返し、合計で予定外の50分のロスと体力の消耗」あたりが私の体験したピンチです。とくに最後のはけっこう危なくて、疲れていると「戻るよりもこのまま進んで他のルートで帰ろう」などと考えがちです。結果本格的に道に迷い、それで死亡する人も多いという。ドキドキしますね。ああ、また行きたくなってきた。

  去年はまったくハイキングに行ってなくて、これはコロナのせい・・・だけではなく、主な原因は猫。うちの猫が
「猫はまだ眠くないから寝ちゃ駄目ナリ!」
「眠いから一緒に寝るナリ!猫を寝かしつけるナリ!!」
「ね・・猫を置いてどこへ行くナリか・・?行っちゃ駄目ナリ・・駄目ナリよ・・」
と要求するようになったため、早く寝て早朝出かけるとか、未明に車で登山口に行って夜明けとともに歩き始めるという活動がしづらくなってしまいました。猫の幸福は他の全てに優先するのです。でもどっか行きたい。行くと(猫が寂しがってるだろうな・・)と思って早く帰りたくなるのですが。   

本は「集める」?:週刊少年サンデー2021/19号2021/03/25



「単行本ぜんぶ集めてます」などとお便りをいただくことがあります。ありがとうございます、チルドレンだけで60巻もあるので大変だったのではないでしょうか。

 ところで、「集めてます」を、私自身は書籍に対してはほぼ使いません。私の感覚では書籍は「読んでいると自動的に増えていく」もので「集める」ものではないからです。それでもあえて言うなら「揃える」ですね。「本を集める」という言い方はある時期から増えてきた印象で、「若い世代が使うようになってきた言い回しなのだな」という認識。
(誤用というわけではないが、書籍を「集める」は、少なくともある程度の量、文章や書籍に親しんだ人間は選ばないと思う。でもこれから一般的な慣用になるのだろう)と私は思ってて、この感覚がマジョリティであろうと考えていたのです。なのでキャラに喋らせる場合、澪あたりに言わせるとキャラクターに血が通うけど、大人やガチ漫画読みのティム・バレットなんかは言わないんじゃないかなと。

 ところがツイッターでは私に近い世代も、かなりの読書量がある人も、息を吸うように漫画単行本を買う人でも「集めるって言いますよ」とのことで、あれー?

 間違っているとは私も思わないんですよ。「資料用の本を買い集める」「希少本を蒐集する」って言い回しにはおかしなところはない。でも書籍は「コンテンツ」として中の情報の方に重きを置くのがふつうなわけで、「集める」には「アイテム」というニュアンスが多めに入るんじゃなかろうか。さらに、意味がどうとかの前に、ざっくり平易すぎる表現な気がする。

 言語感覚というのは他者と関わりながら更新されていくものです。私のようなオッサンはそれをサボるべきではないでしょう。ただ、「本を集める」派の揺るぎなさはいったい。「ふつうに言いますよ」のあと「でもそういえば書物の中ではあまり見かけない口語表現ですかね・・?」などという迷いがもうちょっとあってもよさそうなのに。私はもっと自分を信じるべきなのか疑うべきなのか。

 で、センセイちょっとムキになってアンケートとってみました(笑)。


アンケ1

 意外な結果です。ツイッターの様子ではもっと競るんじゃないかと思ってたんで。

 母集団は私のフォロワーですので、学術的な価値は不明です。ただまあ、総数がこんだけあれば参考にはなるんじゃないですかね。「どちらもアリ」な人の「しいてどっちか選ぶなら・・」っていうケースも含め、一応八割の人が「『集める』より『揃える』」という結果。「慣用が変わりつつある過渡期であろう」という私の仮説が正しければ、今後このグラフは入れ替わるか半々になるはずです。


 次に、参考として「書籍をアイテムとして蒐集する場合」について。


アンケ2

 こちらは「集める」もアリ。やはりコンテンツであることが「集める」という言葉とどこかぶつかってる可能性を感じます。しかしそれよりも驚くべきことに、そもそも「本を蒐集する」という趣味を七割の人が理解しない・・・・いやこれ、明らかにオチに誘導しちゃってますねすいません(笑)。

お久しぶりです:週刊少年サンデー2021/17号2021/03/14



 2年半ぶりくらいの更新ですね。

 絶チルとは2003年の夏からのつきあいで、もう17年半になります。生まれた赤ちゃんが高校三年生になる期間。当時10歳だった子供は27歳。始めた頃にはiPhoneはもうありましたけど、まだ「iPodに電話機能がついただけでしょ?」って感じでガラケーが主流だったし、Googleの画像検索もいまほど便利に使えなかったと記憶してます。読み切り版で出した輸送機の画像を、当時の担当が海外サイトで集めて大量にプリントアウトしてくれたのをよく覚えてます。「え、機内の写真もこんなに高解像度でたくさん手に入るの!?」って驚きました。

 日々のどうでもいい情報やどうでもよくない告知なんかもSNSが主流になっている2021年ですが、SNSもなんだかいろいろとアレなことになってきてて、最近はブログへの回帰という流れもあるようなないような。たしか絶チルの週刊連載を機にこのアサブロをお借りした・・・と思うんだけど、どうだったかな。最初の方はまだブログじゃなくて「ホームページ」使ってましたっけ。まあとにかくアニメのアンリミ放送終了まではがんばって毎週更新してて、その後力尽きて、私のネットとのつきあいはほぼツイッターのみになっておりました。

 そんな中、実はそろそろ絶チルが最終回までのカウントダウンに突入という運びになりました。まだ正式に何号で終わるとかは決まってないものの、いちおう単行本の切れ目なんかも考慮しつつ、ラストシーンに向けて、執筆は最終段階に入ったという感じです。なので絶チル執筆の苦楽を共にしてきたこのブログ、せっかくなので最後もちゃんと締めてやりたいなと。そんなわけで、またしばらくの間、このブログでのおしゃべりにおつきあいいただければ。

 調べてみたらアニメ『鉄腕アトム』の放送が1963年、17年後の1980年には『伝説巨神イデオン』が放送されてます。そう思うとすごいですね。もっと褒めてもらってもいいと思うんで、ぜひみなさまは機会があるたび褒めていただきたい。でもここまで長期連載になったのは、読者や関係者の皆様の応援のおかげですので、私からもみなさんへのお礼を。
 ありがとうございます、完結までよろしくお願いします。